「今年は大きな台風が来る」
春頃から、島の人たちが囁いていた。というのも、いくつか予兆があったからだ。今年の春は、いたるところで真っ赤に咲き乱れるデイゴの花を見かけたし、低い位置に作られた蜂の巣もあった。どちらも、大きな台風が来るときに起こる現象と言われている。デイゴを見かけるたびに、見事な赤にうっとりとしつつも、背中がひんやりとした。
はじめは台風の発生がとても少なく、
「迷信かな?」
と安心していたが、ついに、恐れていたニュースが流れた。
大型台風10号の接近。風速85m/sの暴風予報。
耳を疑った。
2018年に大阪を直撃した台風21号は、最大風速44m/sだったはず。船が橋に激突して、自転車置き場ごと宙を舞っていた。それをニュースで見て震えていたのに、その倍近くもある風速85m/s予測!? それはもう、島ごと吹っ飛んでしまうレベルでは?
恐ろしいけれど、島に住んでいる宿命。とにかく万全に準備しなくてはならない。
島の友人に聞くと、
「屋根は飛ぶかもね〜」
なんて余裕で話す。子供の頃から何度か屋根はなくなったらしい。その度に、空が見えて綺麗だなーなんて思っていたとか。たくましすぎる。
仮住まいの家は隣に大家さんが住んでいて、早々に対策が始まっていた。エアコンの室外機とポストが、ロープで重石のブロックとぐるぐる巻きに結んである。
物干し竿や鉢植えはすべて家の裏側へ。とにかく外にあるものには、上にブロックを乗せ、飛ばないようにする。島の家には大抵、雨戸が付いている。すべて閉めて、さらに内側から養生テープを貼ってガラスが割れても飛び散らないようにする。うちの建設中の新居の方も対策しないといけない。
出かけると、近所も台風対策に忙しそうだった。手馴れた様子で窓に木の板を打ちつけて塞いでいく人や、家のぐるりをネットで囲む人。新居には、電線近くの木を伐採するために大きな車が来ていた。
植木などを家の中に入れて、どんなに小さな窓でも木の板をはめておく。雨戸もすべて閉めた。特にうちの周りは大きな木が多いので、防風林にもなってくれるが、枝が折れて飛んできたらガラスはひとたまりもない。
停電になってもいいように、モバイルバッテリーや懐中電灯、電池も用意してある。ガスが使えなくなっても、カセットコンロとガスボンベもストックがある。水もストックして、カップラーメンや温めるだけで食べられるようなものも準備した。
迫り来る台風。もうあとは、なるようになるしかない。
ところが、私には出張の予定が入っていた。ちょうど台風が直撃する2日前の出発。怖い思いはしなくて済むかもしれないが、残された猫たちが心配だ。大切な展覧会の搬入もあり、予報だけでキャンセルすることはできない。すぐにマイナスなことがイメージできる私は、
「もしこれが、猫たちとの最後のお別れだったらどうしよう......」
と半泣きになりながら、夫に託すことにした。夫は、初めての大型台風に少しワクワクすらしていて、
「すごい根性だ」
と感心した。
空港へ向かう途中、
「あの友人がやっている海沿いの店、帰ってきたら飛んでなくなってるかもな......」
「このガードレールもひしゃげて、電柱も倒れているんだろうか......」
などと、帰ってきた時の島の様子を想像する。そうして、島を飛び立った。
東京で、打ち合わせをしながらも、ワークショップをしながらも、どうも落ち着かない。
昔、大阪の実家が猛烈なゲリラ豪雨に遭った時、雷が真上から何個も落ちてきて、光が真っ赤だった。あっという間に浸水して、それはそれは恐ろしい時間だった。それを体験した先代の猫の鉄三は、恐ろしさのあまり、雨が降るたびに体がぐにゃぐにゃになって低くなり、なめくじのようにゆっくりしか動けなくなった。そのことを思い出して、巨大な台風を体験することは猫たちにとっても恐怖でしかないのでは、と想像する。何度も携帯のアプリで台風の位置を確かめながら、ドキドキしていた。
そんな中、続々と島の友人たちから
「台風、大丈夫? 私たちは、避難してるよ!」
というような連絡が入る。やはり慣れた島の人たちでも避難するレベルなんだ、とまたまたビビる。そこに夫から連絡。
「怖くなってきた」
......どうやら、私がいなくなって、雨戸も閉められた暗い部屋にひとりになると、猫たち5匹を見て不安になったらしい。すぐさま返事をした。
「大阪に避難したら?」
「そうする!」
急いで実家にいる母に連絡をして、猫5匹を迎える準備をしてもらう。夫はすぐに飛行機のチケットを取った。台風直撃まであと1日。すでに風は強くなっていて、飛行機が飛ぶかどうかわからない。
逐一、夫から連絡が入る。
猫たちチェックイン。
保安検査場通過。
機内へ入る。
東京から、飛行機に、「飛べ!飛べ!」と念じる。携帯の台風の位置とにらめっこしながら、台風には「止まれ!止まれ!」と念じる。
そして......無事に飛行機は大阪に向かって飛んだ。猫たち5匹を乗せて。
空港には弟が迎えに行ってくれ、実家の一部屋を猫部屋に借り、無事に過ごしている猫たちの様子が写真で送られてくると、安堵して仕事に集中することができた。
台風は、というと、強い勢力ではあったものの、予報の半分以下の風速30m/s前後にとどまり、特に大きな被害はなく、島の友人たちも、友人のお店も、仮住まいも、新居も、大丈夫だった。拍子抜けしたけど、島の人たちと、
「何事もなくてよかったね」
と声をかけ合った。
夫が避難する前に空港で車を預けたレンタカー屋さんは、同じ集落の人だったようで、私たちのドタバタ劇はすべてバレていて、後日みんなに笑われた。
「猫いっぱい連れて逃げてったよ!」
春頃から、島の人たちが囁いていた。というのも、いくつか予兆があったからだ。今年の春は、いたるところで真っ赤に咲き乱れるデイゴの花を見かけたし、低い位置に作られた蜂の巣もあった。どちらも、大きな台風が来るときに起こる現象と言われている。デイゴを見かけるたびに、見事な赤にうっとりとしつつも、背中がひんやりとした。
はじめは台風の発生がとても少なく、
「迷信かな?」
と安心していたが、ついに、恐れていたニュースが流れた。
大型台風10号の接近。風速85m/sの暴風予報。
耳を疑った。
2018年に大阪を直撃した台風21号は、最大風速44m/sだったはず。船が橋に激突して、自転車置き場ごと宙を舞っていた。それをニュースで見て震えていたのに、その倍近くもある風速85m/s予測!? それはもう、島ごと吹っ飛んでしまうレベルでは?
恐ろしいけれど、島に住んでいる宿命。とにかく万全に準備しなくてはならない。
島の友人に聞くと、
「屋根は飛ぶかもね〜」
なんて余裕で話す。子供の頃から何度か屋根はなくなったらしい。その度に、空が見えて綺麗だなーなんて思っていたとか。たくましすぎる。
仮住まいの家は隣に大家さんが住んでいて、早々に対策が始まっていた。エアコンの室外機とポストが、ロープで重石のブロックとぐるぐる巻きに結んである。
物干し竿や鉢植えはすべて家の裏側へ。とにかく外にあるものには、上にブロックを乗せ、飛ばないようにする。島の家には大抵、雨戸が付いている。すべて閉めて、さらに内側から養生テープを貼ってガラスが割れても飛び散らないようにする。うちの建設中の新居の方も対策しないといけない。
出かけると、近所も台風対策に忙しそうだった。手馴れた様子で窓に木の板を打ちつけて塞いでいく人や、家のぐるりをネットで囲む人。新居には、電線近くの木を伐採するために大きな車が来ていた。
植木などを家の中に入れて、どんなに小さな窓でも木の板をはめておく。雨戸もすべて閉めた。特にうちの周りは大きな木が多いので、防風林にもなってくれるが、枝が折れて飛んできたらガラスはひとたまりもない。
停電になってもいいように、モバイルバッテリーや懐中電灯、電池も用意してある。ガスが使えなくなっても、カセットコンロとガスボンベもストックがある。水もストックして、カップラーメンや温めるだけで食べられるようなものも準備した。
迫り来る台風。もうあとは、なるようになるしかない。
ところが、私には出張の予定が入っていた。ちょうど台風が直撃する2日前の出発。怖い思いはしなくて済むかもしれないが、残された猫たちが心配だ。大切な展覧会の搬入もあり、予報だけでキャンセルすることはできない。すぐにマイナスなことがイメージできる私は、
「もしこれが、猫たちとの最後のお別れだったらどうしよう......」
と半泣きになりながら、夫に託すことにした。夫は、初めての大型台風に少しワクワクすらしていて、
「すごい根性だ」
と感心した。
空港へ向かう途中、
「あの友人がやっている海沿いの店、帰ってきたら飛んでなくなってるかもな......」
「このガードレールもひしゃげて、電柱も倒れているんだろうか......」
などと、帰ってきた時の島の様子を想像する。そうして、島を飛び立った。
東京で、打ち合わせをしながらも、ワークショップをしながらも、どうも落ち着かない。
昔、大阪の実家が猛烈なゲリラ豪雨に遭った時、雷が真上から何個も落ちてきて、光が真っ赤だった。あっという間に浸水して、それはそれは恐ろしい時間だった。それを体験した先代の猫の鉄三は、恐ろしさのあまり、雨が降るたびに体がぐにゃぐにゃになって低くなり、なめくじのようにゆっくりしか動けなくなった。そのことを思い出して、巨大な台風を体験することは猫たちにとっても恐怖でしかないのでは、と想像する。何度も携帯のアプリで台風の位置を確かめながら、ドキドキしていた。
そんな中、続々と島の友人たちから
「台風、大丈夫? 私たちは、避難してるよ!」
というような連絡が入る。やはり慣れた島の人たちでも避難するレベルなんだ、とまたまたビビる。そこに夫から連絡。
「怖くなってきた」
......どうやら、私がいなくなって、雨戸も閉められた暗い部屋にひとりになると、猫たち5匹を見て不安になったらしい。すぐさま返事をした。
「大阪に避難したら?」
「そうする!」
急いで実家にいる母に連絡をして、猫5匹を迎える準備をしてもらう。夫はすぐに飛行機のチケットを取った。台風直撃まであと1日。すでに風は強くなっていて、飛行機が飛ぶかどうかわからない。
逐一、夫から連絡が入る。
猫たちチェックイン。
保安検査場通過。
機内へ入る。
東京から、飛行機に、「飛べ!飛べ!」と念じる。携帯の台風の位置とにらめっこしながら、台風には「止まれ!止まれ!」と念じる。
そして......無事に飛行機は大阪に向かって飛んだ。猫たち5匹を乗せて。
空港には弟が迎えに行ってくれ、実家の一部屋を猫部屋に借り、無事に過ごしている猫たちの様子が写真で送られてくると、安堵して仕事に集中することができた。
台風は、というと、強い勢力ではあったものの、予報の半分以下の風速30m/s前後にとどまり、特に大きな被害はなく、島の友人たちも、友人のお店も、仮住まいも、新居も、大丈夫だった。拍子抜けしたけど、島の人たちと、
「何事もなくてよかったね」
と声をかけ合った。
夫が避難する前に空港で車を預けたレンタカー屋さんは、同じ集落の人だったようで、私たちのドタバタ劇はすべてバレていて、後日みんなに笑われた。
「猫いっぱい連れて逃げてったよ!」