「死者の日」は、メキシコ滞在中に最も楽しみにしていたことのひとつ。地域にもよるようだが、通常11月1日と2日に行われるそう。その4日前に、メキシコシティに入った。市内を散策してみると、死者の日への準備は着々と進んでいた。賑やかに飾られた骸骨の人形が道端にも置かれ、カラフルな色紙を模様に切って紐でつなげたパペル・ピカドがそこかしこに吊るされ、祭壇に飾るマリーゴールドを売る店が軒を連ねる。メキシコシティは観光で訪れる人も多いので、華やかにライティングされたフォトスポットなどもあった。とにかくすごい人。
街中のメキシコ料理屋さんで、定番のタコスをつまみながらコロナビールを飲んだ。着いたばかりで、長時間の飛行機と時差で疲れていたので、早々に宿に戻って休むことにした。ベッドでウトウトとしたかと思うと、急に鳴り響いた破裂音で起きた。それは5分間隔ほどで夜中ずっと鳴っていて、ときおりパトカーのサイレンなども相まり、結局眠れなかった。
ほぼ眠れないまま朝になり、のろりのろりと起きてカーテンを開けると、朝ごはんを売る露店がホテルの前に出ていて、ツタンカーメンやピラミッドの仮装をした人たちも並んでいて、夜通し遊んだ後のようだ。どうやら、破裂音の正体は爆竹だった。ハロウィンと死者の日が続くので、ちょうどお祭りムードが合体したような時間なのかもしれない。10月27日でこの様子だから、当日はどんなことになってしまうのだろうと思いながら、メキシコシティを後にし、今回の旅の目的地メリダへ飛んだ。
メリダ市街地から車で30分ほど走ったところにあるチュブルナという海沿いの小さな町の端っこに、宿はあった。静かなコテージがいくつかあって、犬がいて、半袖短パンにビーチサンダルの大きな男性が葉っぱの屋根の下で、受け付けをしてくれた。荷物を置いて散歩をする。舗装されている道路はわずかで、あとは砂の地面なのが嬉しい。ちょうど夕日が沈む時間で、刻々と色が変化する海面を眺めていると、遠い国に来たにもかかわらず、奄美に帰ってきたかのような安心感があった。
次の日、チュブルナの中心部を散策してみた。小さな商店が並んでいる。工事作業をしていたと思われる人たちが、仕事を終えて軽トラの荷台に4、5人で相乗りして帰ってきて、道端で夕涼みしながら、お酒を飲んで、話している。
昼間が暑すぎるせいか、子どもたちも夜に公園や道端で遊ぶ。レストランも、広々とした店内ではなく、みんな道路に出したテーブルを囲んで、タコスやトルティーヤを食べながらお酒やコーラを飲んで楽しく過ごしている。
メキシコ人は英語を話せる人が少ない。わたしはスペイン語がわかるわけがなく、暗号のようなメニューを見て適当に頼んでは、量が多すぎたり、形が違うだけの同じものが来たりして失敗しては大笑い。隣の人と同じものが食べたい!とか、直接冷蔵庫の中のビールを指さしてジェスチャーで伝え、海外ならではの試練を楽しんだ。町の人々はとても優しくおおらかで、言葉が通じない私に苛立つこともなく、なんとか伝えようとしてくれる。また、ユカタン州の料理はメキシコシティとは違って、スパイスやライムなどの柑橘をふんだんに使っていて、気候にもよく合い、とても美味しい。そして、知り合いでなくても、町で目があったらみんな、
「オーラ!」
と挨拶し合う。屋台のおばちゃんたちも必ずほがらかに声をかけてくれて、
「ハポネから来た」
というと、喜んでいろんな料理を紹介してくれたりして、この町が大好きになった。
そうしている間に、町の広場に露店が並び、祭壇がポツポツと置かれはじめた。祭壇は、マリーゴールドやケイトウの鮮やかな赤やオレンジで飾られ、ろうそくに火が灯され、上段には額に入った故人の笑顔の写真。マリーゴールドには太陽の力があると信じられ、死者がこの世に戻るときに迷わないよう道しるべとして飾るらしい。飾るだけでなく、花びらで十字架を描いたり、故人が好きだったお酒や食べ物などもお供えするので、祭壇ごとに個性がある。
露店では、ピブと呼ばれるバナナの葉で包んで焼いたパンや、砂糖をまぶしたパンデムエルトと呼ばれる丸いパンに骨の模様をつけたものが登場し、野菜や果物の形をした砂糖菓子、フルーツなどがたくさん売られている。普段から祭壇やお墓へお供えしたり、死者の日にはみんなで食べるらしい。砂糖菓子にはありえない量の蜂が群がっていて、買うのも恐ろしかったが、どうぞ食べてみて、と手渡されたのでかじると、異国の香りがして、めちゃくちゃに甘くて、少し固めのネリキリのような食感だった。きっと日本の落雁のような意味なのかな、と想像する。
祭壇の前にいるおばあちゃんと目が合うと、どうぞ拝んでください、という感じで手招きされる。日本では知り合い以外のお仏壇を拝むことはなかなか考えられず、町全体が死者に限らず、誰でも受け入れる空気に包まれていて、とてもあたたかい日々だった。
メリダ市街地へ出ると、ガイコツメイクをした人はちらほらいたが、ネットで見ていたおまつり騒ぎやパレードを見ることはなかった。それよりも、家族や友人と集まって、祭壇を囲みながら、みんなでわいわい話したり飲んだりするリラックスした姿が見れて、これこそが本来の死者の日なのかもしれないと感じた。道端に乳母車に乗った骸骨が飾ってあって、面白くて写真を撮っていたら、近くにいたガイコツメイクでお酒飲む人たちと目が合った。
「オーラ」
と挨拶すると、
「どうぞ」
と促されたので、ここでも輪に入れてもらう。すると、奥から白いガイコツメイクを全身に施された黒い犬が出てきて、笑った。
メキシコシティでの盛大な死者の日も良いかもしれないが、人々のあたたかい気持ちを垣間見れたメリダやチュブルナでの体験が、私にはとても大切な気がした。
奄美大島に帰ると、集落の人々は、島に遊びにきた海外の人を囲んで、太鼓を叩いて歌い、踊っていた。慣れない英語で踊りを教えている。チュブルナの人たちを見ているようで、
「ああ、私はこういう場所が好きなんだな」
と嬉しくなった。
街中のメキシコ料理屋さんで、定番のタコスをつまみながらコロナビールを飲んだ。着いたばかりで、長時間の飛行機と時差で疲れていたので、早々に宿に戻って休むことにした。ベッドでウトウトとしたかと思うと、急に鳴り響いた破裂音で起きた。それは5分間隔ほどで夜中ずっと鳴っていて、ときおりパトカーのサイレンなども相まり、結局眠れなかった。
ほぼ眠れないまま朝になり、のろりのろりと起きてカーテンを開けると、朝ごはんを売る露店がホテルの前に出ていて、ツタンカーメンやピラミッドの仮装をした人たちも並んでいて、夜通し遊んだ後のようだ。どうやら、破裂音の正体は爆竹だった。ハロウィンと死者の日が続くので、ちょうどお祭りムードが合体したような時間なのかもしれない。10月27日でこの様子だから、当日はどんなことになってしまうのだろうと思いながら、メキシコシティを後にし、今回の旅の目的地メリダへ飛んだ。
メリダ市街地から車で30分ほど走ったところにあるチュブルナという海沿いの小さな町の端っこに、宿はあった。静かなコテージがいくつかあって、犬がいて、半袖短パンにビーチサンダルの大きな男性が葉っぱの屋根の下で、受け付けをしてくれた。荷物を置いて散歩をする。舗装されている道路はわずかで、あとは砂の地面なのが嬉しい。ちょうど夕日が沈む時間で、刻々と色が変化する海面を眺めていると、遠い国に来たにもかかわらず、奄美に帰ってきたかのような安心感があった。
次の日、チュブルナの中心部を散策してみた。小さな商店が並んでいる。工事作業をしていたと思われる人たちが、仕事を終えて軽トラの荷台に4、5人で相乗りして帰ってきて、道端で夕涼みしながら、お酒を飲んで、話している。
昼間が暑すぎるせいか、子どもたちも夜に公園や道端で遊ぶ。レストランも、広々とした店内ではなく、みんな道路に出したテーブルを囲んで、タコスやトルティーヤを食べながらお酒やコーラを飲んで楽しく過ごしている。
メキシコ人は英語を話せる人が少ない。わたしはスペイン語がわかるわけがなく、暗号のようなメニューを見て適当に頼んでは、量が多すぎたり、形が違うだけの同じものが来たりして失敗しては大笑い。隣の人と同じものが食べたい!とか、直接冷蔵庫の中のビールを指さしてジェスチャーで伝え、海外ならではの試練を楽しんだ。町の人々はとても優しくおおらかで、言葉が通じない私に苛立つこともなく、なんとか伝えようとしてくれる。また、ユカタン州の料理はメキシコシティとは違って、スパイスやライムなどの柑橘をふんだんに使っていて、気候にもよく合い、とても美味しい。そして、知り合いでなくても、町で目があったらみんな、
「オーラ!」
と挨拶し合う。屋台のおばちゃんたちも必ずほがらかに声をかけてくれて、
「ハポネから来た」
というと、喜んでいろんな料理を紹介してくれたりして、この町が大好きになった。
そうしている間に、町の広場に露店が並び、祭壇がポツポツと置かれはじめた。祭壇は、マリーゴールドやケイトウの鮮やかな赤やオレンジで飾られ、ろうそくに火が灯され、上段には額に入った故人の笑顔の写真。マリーゴールドには太陽の力があると信じられ、死者がこの世に戻るときに迷わないよう道しるべとして飾るらしい。飾るだけでなく、花びらで十字架を描いたり、故人が好きだったお酒や食べ物などもお供えするので、祭壇ごとに個性がある。
露店では、ピブと呼ばれるバナナの葉で包んで焼いたパンや、砂糖をまぶしたパンデムエルトと呼ばれる丸いパンに骨の模様をつけたものが登場し、野菜や果物の形をした砂糖菓子、フルーツなどがたくさん売られている。普段から祭壇やお墓へお供えしたり、死者の日にはみんなで食べるらしい。砂糖菓子にはありえない量の蜂が群がっていて、買うのも恐ろしかったが、どうぞ食べてみて、と手渡されたのでかじると、異国の香りがして、めちゃくちゃに甘くて、少し固めのネリキリのような食感だった。きっと日本の落雁のような意味なのかな、と想像する。
祭壇の前にいるおばあちゃんと目が合うと、どうぞ拝んでください、という感じで手招きされる。日本では知り合い以外のお仏壇を拝むことはなかなか考えられず、町全体が死者に限らず、誰でも受け入れる空気に包まれていて、とてもあたたかい日々だった。
メリダ市街地へ出ると、ガイコツメイクをした人はちらほらいたが、ネットで見ていたおまつり騒ぎやパレードを見ることはなかった。それよりも、家族や友人と集まって、祭壇を囲みながら、みんなでわいわい話したり飲んだりするリラックスした姿が見れて、これこそが本来の死者の日なのかもしれないと感じた。道端に乳母車に乗った骸骨が飾ってあって、面白くて写真を撮っていたら、近くにいたガイコツメイクでお酒飲む人たちと目が合った。
「オーラ」
と挨拶すると、
「どうぞ」
と促されたので、ここでも輪に入れてもらう。すると、奥から白いガイコツメイクを全身に施された黒い犬が出てきて、笑った。
メキシコシティでの盛大な死者の日も良いかもしれないが、人々のあたたかい気持ちを垣間見れたメリダやチュブルナでの体験が、私にはとても大切な気がした。
奄美大島に帰ると、集落の人々は、島に遊びにきた海外の人を囲んで、太鼓を叩いて歌い、踊っていた。慣れない英語で踊りを教えている。チュブルナの人たちを見ているようで、
「ああ、私はこういう場所が好きなんだな」
と嬉しくなった。