• ミロコマチコ「ミロコあたり」

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 島では独特のおせち料理をいただくというのは、本や話では読み聞きしていて、ずっと実際に体験してみたいと思っていた。20年以上前に島に移住してきた友人が、いつもお正月は、血縁ではないけれど普段から仲良くしてもらっている、裏のおば(おばあさんのこと)の家で過ごすという。私も参加したいと伝えると、快く受け入れてくれた。
 元旦の朝9時半に伺うと、すでに台所は準備真っ只中で、忙しく女性たちが立ち働いている。大きな台所と居間、和室も何部屋かありそうで、外観から想像つかないほど広い家だ。どうぞどうぞと奥に招かれて、和室の上座に通された。鏡餅も飾ってある。まずは、家主のおじ(おじいさん)にご挨拶をする。里帰りしている子どもたちの家族や孫など、生まれたばかりの赤ちゃんもいて賑やか。友人家族や私も含めると20人くらいいる。他人の私が入ってよかったのか、と恐縮するけれど、この一族たちはあたたかく迎え入れてくれる。集まっている家族の自己紹介をしてもらっているうちに、お料理が運ばれてきた。
 まずは赤いお椀が並んだ。一の膳はお餅の入った魚のお吸い物だ。おじの年始のご挨拶の後、お猪口に黒糖焼酎が注がれ、みんなで乾杯。飲み干したら、お椀をいただく。魚とエビ、椎茸、かまぼこ、ゆで卵などが入って色鮮やか。全員が食べ終わると、次に二の膳が運ばれてくる。イカのお刺身だ。これはそのときによって他のお刺身に変わることもあるらしい。またお酒が注がれ、飲み干してから、いただく。島のイカはねっとりをして美味しい。その次に三の膳。黒いお椀に入った豚のお吸い物。薄く切られた豚肉と大根に、ネギが散らしてある。またお酒を飲み干してから、いただく。おば自慢の味らしく、素朴で自然な豚の甘みの美味しいお吸い物だった。
 この三つが三献(さんごん)と呼ばれる島の正月料理だ。汁物が二品出てくるところも面白いし、お酒が日本酒ではなく黒糖焼酎なので、一気に体がホワホワしてくる。
 それが終わるとテーブルに用意してあったお屠蘇セットが運ばれてきた。お盆の上にはお酒と盃、その横に昆布とスルメとお塩が盛られたお皿がある。おじがまず私のところに来て、盃を渡し、黒糖焼酎注ぐ。
「今年もますます活躍して良い年になりますように」
と声をかけてくれて、一気に飲み干す。次に箸でつまんだ昆布とスルメに少しお塩をつけたものを受け取り、食べる。盃をおじに返し、今度は私がおじに
「今年も元気で良い年になりますように」
と一言かけて、黒糖焼酎を注ぎ、飲んでもらう。これを、おじはそこにいる全員に繰り返していく。子どもや赤ちゃんにも形だけ行い、お酒は親がいただく。これだけでもおじは20杯近く飲んでる。私だったら、もうぐるぐる目を回しているだろう。
 そのあとは、ゆっくり歓談タイム。ビールも運ばれてきて、おつまみに塩豚と野菜の煮物が並ぶ。昆布、厚揚げ、ニンジンの中に見慣れない長くて細いフキのよう野菜。シマアザミの茎らしい。お正月が近くなると家族みんなでシマアザミを取り、トゲトゲで鬼のような葉っぱをむしって、丁寧にアク抜きをして、煮付けていく。素手で葉をむしる屈強なおばもいるらしく、話題にのぼっていた。こちらの料理は大晦日から食べるそうだ。ちなみに、門松は砂浜の砂を取ってきて、入り口の両脇に盛り、そこに松、竹、ユズリ葉を挿して立てるのが島のスタイル。
 このお家には一族のお仏壇があって、近所の親戚たちも続々と挨拶に来て、お年玉が行き交う。島を離れてしまった若者家族も里帰りの報告に顔を出しにくる。島では親族じゃなくてもお年玉をあげあう。誰が訪ねきてもいいように、みんなお年玉袋を持っていて、来た子どもたちにそれぞれ少しずつ配る。そんな中にいると全然知らない人たちなのに、私も島の一族の一員のようで嬉しい。
 ここ数年、お正月は実家に帰っていない。もう昔のように親戚たちが集まることもなくなってきたし、仕事でちょこちょこ帰るので、わざわざ交通費が高くて混むときに帰らなくてもいいか、という気持ちでいたのだ。島のお正月料理を体験したいだけだったのに、予期せぬ状況に、なんだか寂しくなって胸がキュッとした。
 そんな風景を眺めていたら、飲みすぎたようで、まだお昼にさしかかったばかりとは思えない大酔っぱらいで帰ったのだった。



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